仕事の効率化と疲労の関係を想いつつ、生き甲斐のある人生とは何かを問う。

仕事というものは合理化すれば一見楽になりそうに思えます。

しかし、落とし穴があります。

合理化というものには無駄な動きを省いた労働密度を高める傾向が常に付いてます。

一見無駄に見えても無駄の中で生まれていたものの内に気づかない長所が在ったりします。

人は機械ではなく考える生き物です。

古今東西、人というものは無駄の中で考え無から有を生み出してきているのです。

色々な成果は無駄の中で人が逡巡して後、得られているのです。ゆとりと呼び替えるのが正しいそれだと言えましょう。

人に考えるゆとりを許さない構造の中では人は他人の成果を知性の感じられない姿勢で模倣するところへ堕落させられて行きます。

私はかって、その昔その様な環境に身を置いたことが在りました。

私は大工場の一、工員としてその巨大な生産設備の中に身を置いたことが在りました。

其処には広大な敷地にそびえ立つ巨大な建物ありまして、入り口をくぐって辺りを見渡せば、巨大なプレス機、旋盤、ベルトコンベアー、が コンクリートの気の遠おくなるほど広い冷たい床に所狭しと並んでいました。

プレス機からは腹に、そして、骨の髄まで響き揺すぶる様な地響きが起こり、旋盤からは耳をつんざくような激しく大きな、けたたましい金属音がし、コンベアーからはブルドーザーのキャタピラのような物の擦れるような重苦しい低い響きが絶え間なく続いていました。

見上げれば目も眩む高所に霞んで見える薄暗い天井が在りその薄暗がりの空間に数多くのモノレールのような、スキー場のリフトのような作りの部品の運搬設備が部品を載せてゆらり、ゆらりと揺れながら動いていました。

その中で、無数の工員が脇目も振らず無言で無表情に無感覚に動いていました。

とにかく、行員の仕事と言うものは、ごく限られた部分の工程の中で極限の密度と速度で妥協の余地のない定められた時間の設定の内に行うことを矯正されます。

彼、彼女の前にも後にも、果てしなく途切れなく無限に仕事が並んでいるのです。

機械に人が奴隷が足かせをはめられたみたいに縛られているんです。

機械にはない人に付き物の不規則で不完全なところは強引に否定されて全く容赦のない疲れという言葉ミスという言葉の許されない、存在しない冷い鉄の様な規律によって鞭打たれながら皆、駆け回っているのです。

その苦しみをおもんばかって労働を考慮する様な思いをが工場の管理部門に期待することは出来ません。

そういう人間味が其処に育まれる余地とか土壌とかは無くて薄くて、ただ、もう営業、販売部門、市場獲得競争の場、冷酷な経済社会からの場からの要求が有無を言わさない至上命令となってその人達に降り注ぐという感じで、それどころかそれはいよいよ増々過密で過酷になっていくばかりでした。

そういう現状を覆すことはどんな組織でも事が大きすぎて担いきれるものではなく行き着くところまで行くまでそれが去勢されることは在りそうもありません。

全ては世界的な経済的な物が中心となってもたらされるものであり、国家にさえそれを期待できる余地は殆ど見えないほどに厳しいものです。

先進国の頂点の方にあらゆる方面に渡って知的な機能が独占され他はその産物を丸呑みにして生かされているといった傾向が多分に伺えます。比較の問題です。

仮として工場労働者を挙げましたが、ただ動かされて合理化されて生きるばかりで考えるゆとりを奪われれば人は、退化します。

先進の度合いの差で国家間でもそのことが現れます。

開発の度合いの低い国ほど工場労働者によくある形態の内容の労働を強いられます。

日本人や発展途上国人は西洋を崇拝する傾向が在りますが、そういう人たちは西洋の歴史をどれほど知っているのでしょうか。

あのイギリスは今私が自らの工員の体験を述べましたがそれ以上に凄まじく悲惨な歴史を持っているのです。

恐ろしいスラムが、貧困がヨーロッパの過去の国々の街や、村に在ったことを語る資料が今も無数に存在しています。

おおっぴらに伝わってくる情報は常に社会の中産階級に恵まれている要素が中心であることは今も昔も同じです。

庶民は蚊帳の外であることは我々と同じです。

国民一人ひとりの知性や能力や才能は条件を平等にして当てはめればそんなに違うものでは在りえません。

ただ効率的にその場しのぎ的に仕事をしなければならないところに追われた人といくらかゆとりを許された人との歳月を得て出てくる降り積もった差の結果であると言えるでしょう。

じっくり、物造りをするゆとりを合理化にばかり目を奪われて、または奪われざるを得ないところにあって、持てないのは悲しいことです。

早くそして沢山といった合理化が優先される度合いの高まる環境にあるほど人間は退化します。

よく見よく聞きよく考える習慣はそういうところでは育たず安かろう悪かろうの結果が付き物で最終的には意義のある結果は残せないでしょう。

質の低い持つ価値のない余計なものを幾ら沢山ためても将来に繋がるものを貯めていくことにはなかなかならないと思います。

日本という国に暮らしていて感じることは余りにも上っ面を真似ただけの底の浅い物、事柄が多いことです。

起源をたどれば皆、よそのものだったりする事が物が多過ぎます。

はっきり言って海外のものが本物で日本のものは無かったり影が薄いものが溢れています。

物も文化もあちらのもののほうが惹かれるものが多く日本のものはどれかと思うものがやけに目立っています。

もう少しじっくりゆっくり物づくりが出来る日本だったらと何時も情けない気持ちがします。

経済的にも文化的にも政治的にも科学的にもなにか何処が先進国なんだと思うこと、物が多すぎますね。

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